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日々徒然 +
by perky_pat
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S A V I O R
『セイヴィア』(1998)、『エネミーライン』(2002)という、ふたつの映画について書いています。ネタバラシしているところもあります。例によってテキスト長いです。

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録りっぱなしになってたテレビ映画のなかに、『セイヴィア』の名前を見つけた。つい2週間まえぐらいのこと。ちなみに録画したのは去年の9月(えへへ)。番組表を見て、きっと興味を持ったから撮ったんだろうけど、どんな映画かは忘れてる。ネットで調べてもよかったけれど、能天気でやかましい不死身のオッサンがバリバリモリモリ敵をやっつけるアホ映画だろう、と思って食事の後、女房と見始めた。傍らでイビキをかいて眠る犬(ちょいクサ)でも撫で、ソファに尻を沈め甘めのアルコールを嘗めながら見る、なにも考えなくていいお気楽ムービー。出てんのデニス・クエイドだし。かれの女房役をやってた女優がナスターシャ・キンスキーだったということは、映画の最後の最後のほうまでふたりとも気づかなかった。かの女は息子と共に、映画の初っ端でイスラム原理主義のテロリストが仕掛けた爆弾で吹っ飛ばされ死ぬ。いい映画というものは、たいてい、はじめからそれなりに光るものがあるものだけれど、この映画のオープニングは凡庸で、その続きも期待できるもののように思えなかった。しかし、それからのろのろとタイトルがはじまるころになって、これは思っているような映画とは違うのではあるまいか…と考えを改めたのだけれども、果たしてそうだった。家族を失ったジョシュア(デニス・クエイド)はギイと名前を変え、フランス外人部隊を経て、紛争真っ只中のボスニアに渡りスナイパーとしてセルビア側につき、妻と子の「仇」であるムスリムを殺す傭兵の日々を送るが、そのうち、次第に虚無感を覚えはじめた。ある日、ギイは、ムスリムに強姦され身ごもってしまったセルビア人の女、ヴェラに出会い、かの女が産んだ赤ん坊の世話をすることになる。と、こんなお話。異民族、敵の血が入った赤ん坊を連れ帰ったことで家族に拒否された、行き場のないヴェラとそのちいさな子を、ギイが国境近くの難民キャンプまで送り届けようとする道中が描かれるロード・ムービーです。


で、こないだの日曜日、「日曜洋画劇場」でかかってた『エネミーライン』。なにも考えずに録画予約しあとでみたら、わりと好きな俳優、オーウェン・ウィルソンが出ている映画だった。ほかにもジーン・ハックマン(オーウェン・ウィルソンとはウェス・アンダーソンの『ザ・ロイヤル・テネンバウムズ』でも共演してますね)、ホアキン・デ・アルメイダ(『24』シーズンiiiの麻薬王、ラモン・サラザール!)など気になる役者が。平和維持軍として活動するアメリカ海軍のクリス・バーネット大尉(オーウェン・ウィルソン)は、ボスニア上空からの地上撮影を命じられた。かれらが搭乗するジェット戦闘機がその任務中、ヤバいところを撮影されたと思われたセルビア軍に撃墜される。不時着したセルビア勢力のど真ん中から、追手を避け、安全な地帯までの脱出がストーリーの柱。これこそ不死身のオッサン(さすがに軽いケガぐらいはする)がバリバリモリモリ敵をやっつける映画で、そう期待はしてなかったんだけど、ハラハラドキドキ、戦闘シーンにも迫力があり、機械フェチなのかしらと思わせるようなちょっとかわったシーンなどもあって、Viva America! Viva U.S.Armed Forces!なノリが気にならなければ、それなりに楽しめる映画だと思います。さっき「ヤバいところを撮影」と書きましたが、どんなヤバいことをセルビア軍がやってたのかっていうと、水辺での、クロアチア人あるいはムスリムの大量殺戮。それの泥まみれの死屍累々を撮影されたと思われたことから、この映画の主人公の悲劇がはじまるのですが、(だれかさんの)フラッシュバックとして、この水辺でかつて起こった殺戮の模様が、映画のなかで描写されます。バスから降ろされる人、人。かれらに銃を向ける「セルビア軍」の男たち、撃たれ倒れる人、人、人。以前にもまったくこれらと同じシーンをみました。『セイヴィア』の終わりのほうで、クロアチア兵につかまったセルビア人たちがバスで湖のほとりに連れてこられ、皆殺しにされるシーンがあります。こことほんとにまったくいっしょ。これは、『セイヴィア』のこの部分のフィルムをまんま『エネミーライン』で使ってるってことです。一瞬なんのことかわかんなくて思わず、横の女房に「これあの映画といっしょじゃぁん!」と叫んでしまいました。mはその時点ではわからなかったみたいですが、あとで『セイヴィア』の件のシーンと見比べてみると…ビンゴ! 製作した映画会社も違うみたいだし、ネットをみても、このふたつの映画を繋ぐような資料は出てこない。ただ、『エネミーライン』の監督のジョン・ムーアは、もともと報道畑の人間で、ボスニアへも取材に行っていたことがあるという。そして『セイヴィア』の脚本を書いたロバート・オアは紛争中のボスニアをまわる、アメリカの報道カメラマンのアシストをしていたという。ちなみにかれは、そのときに「ギイ」に出会い、戦災孤児の世話をしていたかれをモデルにして物語を書く。ボスニアの地でのムーアとオアの繋がりを想像することは可能だけど、飽くまでも想像。もうひとつ、ジョン・ムーアは『エネミーライン』の次の作品、『フライト・オブ・フェニックス』で、『セイヴィア』においてギイを演じた、デニス・クエイドと仕事をしている。これは臭うなぁ。臭うよ。なんかしらの繋がりがあるのだろうけれど(だって他のひとの撮った映画の一部を自分の作品にそのまんま使うなんて聞かないでしょ。フツー。しかもメジャーなハリウッド映画だし)、どういう繋がりか気になります(女房はあの映画に対するオマージュなんじゃないかと言うけれど、エンドロールを仔細に眺めれば、もしかしたら『セイヴィア』の名前や、使った理由がそこにあるのかしら)。

『セイヴィア』は原題を "SAVIOR" といい、意味を手元の英和辞書で調べると、そこには「savior - 助ける者、救済者」とあります。定冠詞 the がその頭につき、且つ大文字で始まる場合( the Savior )では、「救世主、イエス」の意味になるともあります。聖書からの引用ではじまるこの映画は、これらふたつの意味にかけてあると思われます。映画の冒頭で、息子になぜ教会へ行かないのかと問われたジョシュアが言います。「神様はだれの心のなかにも、おまえやママや、みんな、悪い人たちのなかにだって居るんだからね」。だから神様に会いに教会に行かなくってもいいってことさ。こういうことかな。話の中では常にだれかがだれかを助けています。小さな猫までも。イエスを神と同じものとみるならば、かれらの其々のなかに神があり、かれらの其々がだれかを助けることができる、ということなのでしょうか。題名にもある「助ける」という行為を意識してこの映画をみると、解りやすいかもしれません。キリスト教や聖書の知識があったり、あるいはクリスチャンであるならば、もっと深く、または違ったように理解できるかもしれない作品だとは思います。ですが勿論、主たるテーマは普遍的なものですので、これらの知識、条件が整っていなくとも映画をみることはできます。ギイの本名は「ジョシュア Joshua」、これはヘブライ語では Yhoshuah、ヨシュアとなり、イエスをあらわすのだそうです。やはり、ジョシュア/ギイが、受難の果てに救世主となったとされるイエスを象徴しているのかな。でも、その救世主は、自分が助けようとした赤ん坊によって救われることになります。

終わりのほうで、ギイがそれまで肌身離さず携行していたライフル、それにスコープを湖に捨てるシーンがあります。むかし、ある戦場カメラマンが、カメラのファインダを覗いている間は恐怖を感じないと言ってたか書いたかしたのを聞いたか読んだかした憶えがあります。ファインダを覗いていると、戦場に居る現実感がなくなるのでしょうか。目の前で繰り広げられる戦闘から現実逃避できるのでしょうか。銃を捨てたのは、武器の必要のない地帯に到着したことをあらわす、またはそれまでの過去との決別の直截的な描写ととれますが、最後の最後で、それまで来る日も来る日も戦場で覗き込んでいたスコープを水の中に投げ込んだそのシーンは、僕には家族と友を失い、世界を呪ってきたギイが、また現実の世界を裸眼で直視できるようになり、ジョシュアに戻った瞬間を描いたようにも思えた。


…シブいなあ。み終わって最初に僕の口から出たのがこの言葉。思わずシブいなあと口に出してしまった。同じ地域の戦争を題材にしているといっても、『エネミーライン』のような派手な戦闘シーンはないし、たくさんのお客が呼べるような俳優が出ているわけでもない。スタッフも製作のオリバー・ストーンを除けばほぼ無名といってもよい人たちばかり。おそらく低予算。しかも内容は重くて暗い。地味な映画です。日本でのロードショー公開は、単館で10日ほどで、しかもそれもソフトを発売するときに「日本劇場公開」の文言がパッケージに入れられるから(入れられるのと入れられないのとでは売り上げがまったく違うんだと)、アリバイ的にロードショー公開しただけ、とのこと。でもそのソフトも既に廃番のようです。たしかに売れないのでしょうね、こんな映画は。「日曜洋画劇場」でも待ってても絶対にかかりません。

オリバー・ストーンが監督した『サルバドル』、それにルイ・マルの『ルシアンの青春』。これらはどちらも戦争状態の場所、時代が舞台の、いわゆる戦争映画で、『サルバドル』はビルドゥングスローマン、『ルシアンの青春』は青春映画だと個人的には思っていますが、絶望映画なんて映画のジャンルがあるのであれば僕は真っ先に迷わずこれらを挙げることも躊躇しないぐらいふたつの作品とも本当に救いがない。たしかに、みたあとにみぞおちに感じる重い澱のようなものは『セイヴィア』をみたあとにもある。だけど『サルバドル』『ルシアンの青春』と同等に暗く重い『セイヴィア』でも、物語の終わりには少なくとも救いがあります。アタマがしっかりしているあいだはおそらく、僕もmもこの映画のことはいつまでも記憶しているでしょう。機会があるなら、そのときはぜひご覧になることをおすすめします。


文責:perkyことvicke
by perky_pat | 2007-03-14 22:19 | 映画・ステージ
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