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思うところがあって書いてたのですが、うまくまとめられなかったので、いままでお蔵入りにしていました。去年の9月8日に勢いだけで書いて、推敲も何もしていないそのままです。誤字脱字もありそうです。正直きょうまで書いたことも忘れていたし、完成したテキストではありませんが、公開します。よかったら読んでください。 2007/03/Aug.
---------------------- ここ数カ月、いやもっとかな、ティーンエイジャーだったころに熱心に聴いていた音楽をかけることが多かった。もう憶えていないぐらいに昔に聴いていた音楽がいまとってもに新鮮。こないだはタワレコでパンクの「名盤」ばっかり陳列してあるコーナーの試聴機でセックス・ピストルズのファーストをまるまる聴いた。ヘッドフォンを耳にひっかけてプレイボタンを押したらきこえてくるギターとベースとドラムとボーカルにぐいぐい引きこまれ止められなくなった(占領してすんまへん)。子供の時分にこのアルバムはじめて聴いたときに受けた衝撃はこんなんだったっけななーんて鈍くなってる記憶をさぐり補完捏造する。いま聴くとこれはひじょうに洗練された音楽だなぁと思った。『勝手にしやがれ』。CD持ってないもんで買いそうになったけど手に取ったそのCDは棚に戻した、でもいずれきっと買うだろう。 今年のアタマぐらいのこと、晩にテレビを点け眺め気がつくとそこに太ってたるんだ顔の男が出ていた。どこかでみたことあるなーだれだっけ?だれだっけこれ。うしろでネットやってるmに訊くねぇこれだれだっけ?知らないわよ誰かしら。待ってるとやっと男の顔の下に名前が出る、「大江慎也」と。夜中に女房とひっくり返った。記憶にあるかぎりで最後にかれの顔を見たのは、世紀末頃どっかの音楽雑誌にのったインタビュー記事でだった。歳をくった感はあるが、顔は知ってる大江慎也の顔だった。でも記事を読んで、このひとはもうだめだと思ったことは憶えてる。薄情なもので、音楽活動をきれぎれにしかやら(/れ)なくなると(どうでもよいことなので読まなくても結構だが、シスターポールの「私はちぎれてバスに乗る」をきくとなぜだか大江慎也のことを思い出す)、僕はかれのファンであることを忘れてしまったっていうかファンをゆっくりとやめた。大江慎也がテレビに出て喋ってる。声が悪い。あんたボブ・ディランか。大きなお世話だろうが、左手に持ってるタバコを見て、タバコなんてやめりゃあいいのにと思った。喋ってる声がずっと「あぶあぶあぶあぶ」とかってきこえてなにを言ってるのかよくわからなかい。おまけにヤバいぐらいハイだし。ソロアルバムを出すだとか出しただとかと言ってるみたい。ああそう元気そうだねよかったねーなんてナメた態度であいかわらずテレビをナナメに眺めてたんだが直後に件のアルバムからカットされた「Go for the party」のPVがかかって、それ見た僕は大江に大江がPVで手にしているあの黒のストラトキャスターでアタマをフルスイングでブン殴られたような気がして、新しいアルバムをなにがなんでも手に入れなければ、と思うのだけど。 アタマを殴られた影響は他のブツの購買行動をも誘発する。ルースターズ。大人買いでCDを一気に購入。10代のころによくレコードで聴いてたルースターズのアルバムを、この歳(びっけでっす☆子無し犬有りニョウボ持ち36歳でっす☆)になってCDで全部買い直すなんて、その日レコード屋に行くまでは思ってもみなかった。僕はもうオッサンだけど、どの曲も聴けば未だに身体のどこかががざわざわしたりひりひりしたりする。いろいろなこととともに、おれはこのグループが好きだったんだ、ということを思い出す。このごろはかけてる曲にあわせてベースを弾くことが多いが、ルースターズだとベースじゃなくってギターを弾く。ベース弾いてても気持ちいいけど、ギターだともっと気持ちいいからだ。コードを耳で拾い指に伝える。うまくいく場合といかない場合の両方がある。おそらく昔もこんなことやってたんだろうけど、すっかり忘れてしまってる。なんとか1曲のコードを全て拾い終えると、その拾ったばかりのコードを鳴らし(unpluggedです)こんどは歌詞カードを見ながらおそるおそる歌をつける。ほんとエレキギター手に入れて2つぐらいコード憶えたばかりの子供みたいだけどたのしい。ルースターズってギタ?弾いて歌うとほんとたのしい。ロックの子になって何年になるかわからないけど、僕は音楽が好きで、そのなかでもとりわけロックンロールが好きで、たぶんこれからもいまと同じバカのまま年を取って見た目はどう見てもじーさんだけどいつまでもきっと死ぬまでロックの子のつもりでいるんだと思う。 もうそうれは手元にはないけれど、14のときにじぶんのエレクトリックベースを手に入れた。バターの塊みたいな色と大きさのハムバッキングのピックアップがひとつだけついた、Ariaの赤いベース(ずっとあとのことだが、The Pixiesのベースのお姉さんが、俺のとまったくおんなじベース弾いてるライブビデオを観た)。弾いて弾いて弾いて、弦の上をすべらせる指にできたマメは潰れ、弦をはじく爪は削れギザギザになった。アンプというものを持ってなかったので、ナマでもできるだけ大きな音で鳴るように弾いてたからそうなったんだと思うが。それでも弾いた。そんな状態の僕にアンプをくれた人がいた。従姉のkちゃん(僕の母の姉の娘だ)の旦那さんでtさんという。僕よりひとまわり以上も歳が上。最初に会ったときから優しかった。そのtさんが、僕がベースを始めた、ということを聞き、学生のころに使ってたというヤマハのベースアンプをくれた。家に届いたら小さい冷蔵庫ぐらいの大きさで、でかくてそれに黒くてびっくりした。どうやって計ったの憶えてないけど、記憶では20キロの重量があった。それから何年も経ってバンドごっこをやり始め、スタジオだライブだと当時乗ってたちいさなクルマの後部座席に載せあちこち行った。ベースでもギターでもオルガンでも、シールドで繋げばじつにいい音がした。そのバンドモドキもやめてからもうかなりになる。tさんにもらったベーアンも実家に置きっぱなしだし、いっしょにやってた友人も、もう今はなんだか会うことはない。そして、僕は家でひとりレコード相手にギターやベースをアンプを通さずに弾くことをはじめて、上に書いているように、それをいまでも続けている。 2年ほど前のこと。tさんが職場のひとたちとバンドをはじめたらしいときいた。40半ばから50ぐらいのオッサンばかりのオヤジバンドらしい。ヴェンチャーズなんかのコピーがレパートリーらしい。休みの日にスタジオで練習したりしてるらしい。たまには練習の成果を披露ということでステージに立ったりしてるらしい。らしいと伝聞ばっかなのは僕はかれのバンドを見たこともないし音をきいたこともないから。そのうち野方の家遊びに行ってどんなことしてるのか、かれに直接訊いてやろうと思っていた。 8月のなかごろ、夜、神戸の実家の母から、tさんが倒れたらしいと電話があった。らしい、のは実家に連絡をしてきたkちゃんがパニック状態で詳しいことが訊けなかったからだという。母が方々から集めてきた情報を総合するとこうなるという:野方の自宅で倒れ救急車で新宿の病院へ搬送脳内出血と診断現在意識不明ICUで治療中面会謝絶。きいたことをいま書いてるだけでも鳥肌がたつ。母は、詳しいことがわからないので、まだお見舞いは行かない方がいいと僕に言う。なにか進展があればまた電話するとのことで待ったが、電話はなかった。どうにも落ち着かず、1週間後ぐらいに新宿に行く用事ができたので、それならばお見舞いに行こうと考えたのだけれど、きっと行っても邪魔になるだけだからとmに止められた。数年前の冬、かの女はおばあちゃんが倒れ入院してあっという間に死んじゃったそのときのドタバタを経験している。電話はあいかわらずなかった。でも最初の電話からきっかり2週間後に、tさんが亡くなったと母から知らせがあった。 両親とmとともに通夜と葬式に出た。詳しいことは書かないが、tさんの仕事柄と思われるが、いままで出た葬式の中でダントツの参列者の多さだった。おれの葬式は無用、と女房には常々言ってあるが、たとえばその僕の葬式が行われるとして、果たしてどれだけの参列者があるだろうと思わず考える。祭壇にはエレクトリックベースがスタンドに立て掛けられて置いてあった。tさんがずっと使っていたものだと思っていたが、友人代表としてあいさつに立ったひとによれば、9月のライブにあわせて購ったばかりだったという。手に入れてからは夢中になって毎日弾いてたという。僕にはすごくその夢中になる気持ちがよくわかる。フェンダーU.S.A.のジャズベース。高いだろうなー、いいオトするんだろうなーと考えてたら、そのひと値段まで言ってくれた。25万だって。まだバンドごっこをやってるときにブッキングで同じ日だったバンド(対バンという)のギターの男が、楽屋で「それってフェンダージャパンだよねー」と僕の林檎飴色のストラトをバカにしたような顔で指さしたのを思い出した。いかにもフェンダージャパン製のギターですがこれは。たしか軽い木を使ってるとかでちょっと高くって8万でしたがかれのかかえてるギターもストラトだったが、果たして、きみのみたいな安物とは違っておいらのはメードインユーエスエーのフェンダーなんだよね、オトいいんだよね。音楽やんならもっと自分の道具にこだわったら?、と言いたいのかと被害妄想になった。すみません、音の違いがよくわからないしいつでもどこでもアンプフルテンでファズ踏みっぱなしなもんでエレクトリックギターは日本製でも韓国製でもインドネシア製でも、ようするに安物で十分っす僕。いままで弾いたことのあるギターでいちばん「よいオト」がしたのは、バンドをいっしょにやっていたOの持ってたメイド・イン・コリアの黒いレスポールのコピーだ。僕はOからそのギターを手に入れるためならどんなことだってやろうと決心した矢先に楽屋で目を離しているスキに誰かに盗まれ、どんなこともやらなくて済んだけど(あ、盗んだのは僕じゃないから)。閑話休題ちなみにそのギターのいたグループって、のちにJohn ZohnのレーベルからCD出した。僕はジョン・ゾーンなんてどこがいいんだかさっぱりわかんないしかれが運営しているレコードレーベルなんてのもどうでもよかったが、そのときはわーすごいバンドだったんだなーと単純に感心した。 というようなことをつらつらと思い出していると焼香の順番がまわってきた。祭壇に寄り、間近で見た25万のフェンダーU.S.A.のジャズベースは、ええ仕事しまっせオーラがまぶしかった。あーあまだ死ななくてもいいひとがまた死んだよ50歳になったばかり。遺されたのは、妻と息子ふたり、それに犬。それとこのさらっぴんのベース。いっしょにバンドやってた友だちエトセトラエトセトラ。バンドはウェブサイトを持っている。そこに行けばtさんの写真がいっぱい見ることができて、友だちが書いた、tさんへのお別れの言葉を読むことができる。 このごろは家でもクルマでも大江慎也の新譜とルースターズばっかりかけてる。僕と同じ歳のくせにルースターズをいままできいたことがなかったという女房もなん曲か憶えた。子供のころは大江慎也は天才だと思ってた。いや、じつは大江慎也とルースターズをふたたび聴きはじめてしんばらくはそう思ってた。でも大江を天才だと僕に思わせていたのは、バンドのほかのメンバーがいたから、というそのことがいまごろになってようやくわかった。バンドなんてものはそれがロックンロールのものであれジャズのものであれ、キメラであると考えている。複数の人間がかかわって、それでとてつもないものが現出する場合が往々にしてあるのだ。 Fender 坂本慎太郎 いや、何が言いたいのかよくわからないと思うけれど。友だちっていいもんだなと思うわけですよ。自分でも書いてて混乱して来たのでこのあたりで。それではさようなら。 text: vickeakaperky
by perky_pat
| 2006-09-08 21:32
| 音楽
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