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この家には、ガーデニングが趣味の両親が作って来た35年来の庭があります。 この1年ほとんど放っていたにもかかわらず、春になると自然と花が咲きみだれてとてもきれい。 いまは地面を彩る青みがかった薄紫のハナニラと、すっくと立つムラサキハナナを背景に、椿やチューリップの華やかな赤やピンクが目を惹きます。 ちょうど静岡から両親が帰っていたので、庭の手入れの仕方を教わり、私もガーデニングを始めました。夫は両親ゆずりの園芸好きなので難しいところは頼むとして、まずは簡単な寄せ植えからスタート。庭に花がたくさんあるとパクのお供えに不自由しないし、引きこもりがちな私には日差しを浴びるいい理由になりそうです。 さて、今日はパクの月命日。我が家では、パクの大好物のアイスクリームをみんなで食べる日です(^^)。この一ヶ月、心の中には様々な想いが交錯しましたが、今ではパクの姿の見えない日常を当たり前に過ごせるようになりました。ヘン顔のロジ子に、おとぼけキャラのペパ夫、姿は見えなくても、いまも変わらず家族の中心にいるパクと。いないけど、やはりいるのです。パクはいま虹の橋のふもとにあるというワンコ大学に留学中なんです、とでもいう感じ。人でも動物でも、いったん深く繋がってしまうと、死んでも別れることはできないんだなあということが、よく分かりました。パクといつかお別れしなくてはならないということが、ずっと怖かったけれど、いまはもう大丈夫です。 ゆっくり歩くパクと出かける散歩は、なにかをぼんやりと考えるのにぴったりの時間でした。 ここのところ、チビたちを連れて出かける長い散歩の時間も、パクがどんな存在だったかを考える良い機会になっています。先日、湖のほとりを歩いていたとき、道の終わりで豊穣の神へ恵みを捧げる像に出会いました。4人の女性がそれぞれ、手に魚や、作物などを捧げ持って立っている像でした。そのときにハッと気付くことがあったのです。 亡くなったパクの身体を両腕にのせ病院を後にしたとき、強烈な朝日を浴びながら、私はパクの身体をまるで光に向かって捧げているようだと感じていました。それがどういうことなのか、その日私はなんとなく考えていたのです。 私は無宗教ですが無神論者ではなく、神様や仏様、光にたとえられるような大いなる何か、が存在していることを信じています。捧げるという行為は、感謝を持っていただいた恵みを大いなる何かへお返しする、ということですが、パクもまた私がいただいた恵みであり、再び光の先にある大いなる何かへお返ししたのだと、ふと思い至り、喉のつかえが取れたような気持ちになりました。私もまた、いつかパクと同じところへ帰って行くわけですから、何ひとつ失ってはいないんですね。 だから大丈夫。 大事な存在が亡くなるたびに、ひとつひとつ教えられることがあります。どこかで聞いたことのある言葉、ずっと前に観た映画のワンシーン、ぱっと開いた本のなかの1行、過去に経験したてんでバラバラの瞬間が、走馬灯のように想起され、それらがパズルを埋めるピースになって、ある1つの理解が訪れる。知識は知識でしかないけれど、何らかの経験を伴うとやっと血肉になるというのか。パクが亡くなったあと、そんなことが何日も続いて、いろんな事に気付かせてもらいました。 パクの目を通して見る世界は、驚きと興奮に満ちていて、彼女と過ごすうちに、私もまた世界が輝いていることを知りました。これからもパクの目をこころに持って、世界を見ていこうと思います。 最後にパクが亡くなった翌日、facebookに投稿した記事をこちらにも記載しておきます。 こちらの記事には、パクチーは水を5回吐いた、とありますが、正確には胃液でした。 当初、水だと思って見過ごし、病院へ行くのが遅れたことが、治療を困難にした理由の1つです。 同じようなことが起こらないよう、みなさんのワンちゃんの参考になさってください。 文責:Patことm 今日はとても悲しい報告があります。 昨日、3月14日の朝8:00過ぎ パクチーが亡くなりました。 8歳とほぼ7ヶ月でした。 どこにもとくに異常はないと思っていて、 もっともっと一緒にいられると信じていました。 読めないと思う方はどうかこのままスルーしてくださいね。 私のこころを整理するために、ここに記します。 12日の夜から13日の午後にかけて、パクチーは水を5回大量に吐き、 13日の17:00頃にかかりつけの病院へ緊急入院したのです。 異物による腸閉塞の疑いが濃厚でしたが、脱水による急性腎炎のため 全身麻酔ができなく、まずは点滴で脱水症状を取ることになりました。 14日の深夜1:00頃、胃にたまった水を抜くため弱い麻酔をかけることになり病院へ向かうと、 ふらつきながらもちゃんと立っていて、意識はしっかりしているパクチーが待っていました。 麻酔をかけて処置をおえたとき、パクの心臓は一度止まり、だけど何度も呼びかけてさすって、 おうちに帰って大豆チップス食べよう、と声をかけたらこちらへぐっと戻って来たのです。 パクはきちんと伏せのかたちに座り直し、なんでここにいるんだっけ?という顔で わたしの目をじっと見つめてくれました。 それから、呆然と立ち尽くす夫の顔をしばらくの間まっすぐに見つめ、 夫はパクの頭をなでた。 このときのパクチーのきれいな横顔を私は一生忘れられないでしょう。 元気になったから、きっと朝に手術ができる。そう信じて帰りました。 朝、8:15にパクチーが血を吐いていま蘇生をかけているとの連絡があり、 病院に駆けつけたとき、パクチーはもう亡くなっていました。 肺にたまった水のせいで肺が破裂してしまったのです。 パクは生きているときと同じ暖かい身体で、きれいな目は開けたまま、 口は少し微笑んでいるようでした。 ただ、身体の中から溢れた血が鼻から流れ出て来ることだけが、 変なのです。 私はパクチーの身体を捧げ物のように両腕にのせ、 大きな声で泣きながら病院をあとにしました。 もう世界は変わってしまったと思った。 大好きだったいつものソファに身体を寝かせ、その身体を撫でてやりながら、 パクは私たち夫婦にとってまぎれもなく子供だったと、やっと分かりました。 たましいの中に同じ遺伝子を持ち、良いところも悪いところもどちらにも似て、 だけど私たちよりも確かに強いたましいを持っていた。 けして弱いところをみせず、毅然として、賢く、美しく、 偉大な母であり女王のようだったパク。 美しい姿のままで死んでしまったのは、パクチーの美学でしょう。 きれいなまますぐに焼いて骨にしなくてはと思い、 パクのお気に入りだった湖にほど近いお寺で13:00に焼いてもらったのです。 ありがとう。ずっと一緒だよ。とても楽しかった。 さようなら。さようなら。パク。 と最後に声をかけました。 ほんとうに、あっという間の出来事でした。 パクチーに何が起きたのか、結局何も分からないままとなりましたが、 パクチーと過ごした8年半は私の人生で最良の日々でした。 昨日はまるいちにち夜も寝ずに泣き続けたけれど、 今日は昨日と同じ道を辿り、パクの好きだった湖畔をみなで歩きました。 私たちはこれからパクチーの生きていない世界で生きて行きます。 そんなことができるなんてとても信じられないけれど、 パクチーがいない世界にも当たり前のように夜が訪れ、また朝が来て、 チビたちはいつもと同じように、さわぎ、はしゃぎ、おしっこをし、 お腹が空いては食べ、喉が渇けば飲み、地面のうえを両足で立ち、 歩き、走り、風を感じ、笑い、話し、 私たちはこうやって生きて行くんだと思います。 これまでパクチーを愛してくれたたくさんのお友達にも、 ほんとうにありがとう。 これからはこころの中でパクチーとずっといっしょです。
by perky_pat
| 2014-04-14 21:10
| あにまるs
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